徳川吉宗が江戸時代の裁判に影響を与えた公事方御定書とは?

徳川家康から家光の時代での治世は武力を背景とした武断政治が行われ、家綱から家継までの時期では文治政治と呼ばれる治世への転換がはかられています。

徳川家継の後を受けて将軍となった徳川吉宗は、それまでに悪化した幕府財政の立て直しをはかる一方で、文治政治による幕府体制の歪みや裁判に関する法律体系構築を手がけています。

徳川吉宗の下で作成された公事方御定書は、江戸時代の裁判で判断基準となる司法警察関係と刑事法令にあたる規定を編纂しています。

徳川吉宗の命令で、江戸時代の裁判の仕方や刑罰を定めた公事方御定書などについて紹介します。

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江戸時代の裁判は、どこで誰を裁いたのか?

現代の司法制度では、家庭裁判所、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所といった裁判所において、三審制が執り行われますが、江戸時代には、勘定奉行、寺社奉行、町奉行など裁判を行う役所が複数存在し、裁かれる人の身分によっても取扱いが異なり複雑です。

時代劇などにみられる江戸時代の裁判には、打ち首獄門といった極刑や、厳罰が温情の裁きとなるとか、お奉行様のさじ加減といったシーンもありますが、実際には、現代のような処罰の厳格性や法の基準を守ろうとしています。

その基準とされたのが、徳川吉宗が大岡越前に命じて編纂された「公事方御定書」があります。

「公事方御定書」は、刑事裁判での量刑を決めるための条文や過去の裁判例を基に、裁判の妥当性や法的整合性を議論していることがわかります。

徳川吉宗が命じた「公事方御定書」の編纂には?

徳川吉宗が命じて作成された裁判の基準となる「公事方御定書」は、大岡越前たちによって編纂され、裁判の仕方や刑罰の基準が記されています。

「公事方御定書」は、御定書百箇条とも呼ばれ、特に刑罰について細かく定められています。

刑罰には、死刑、遠島、追放、叩き、刺青、手鎖、罰金、過料などがあり、死刑の方法には、鋸引き、張り付け、獄門、火あぶり、斬罪、死罪、下手人などの種類が設定されています。

江戸時代の裁判では、現代よりも厳しい拷問や残酷な刑罰が想像されますが、その一方で、現代に通じる法の精神を取り込もうとした過程がみられます。

徳川吉宗が命じて作られた「公事方御定書」の意義

徳川吉宗が命じて編纂された「公事方御定書」には、裁判のやり方や刑罰の基準となる条文が示され、現代にも通じる裁判の公平性を模索した時代背景がみられます。

「公事方御定書」では、特に刑事罰に関することが細かく定められ、刑罰の方法も複数設定され、その方法も現代では考えられない残酷な手法が記述されています。

江戸時代の裁判には、罪人を裁く奉行などのさじ加減で曖昧な判断をされた印象を持ちますが、残された「公事方御定書」などによれば、現代にも通じる法の精神が感じられます。

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