徳川吉宗の生誕の地である紀州和歌山との関わりは?

徳川吉宗は、徳川御三家のひとつである紀州藩2代藩主の徳川光貞の四男として生まれ、紀州藩第5代藩主を務めた後、将軍職に就任しています。

徳川吉宗と生誕の地である和歌山は、吉宗が将軍就任から300年にあたる2016年に和歌山市立博物館で「徳川吉宗と紀州の名君」展が開催されるほど密接な関わりをもちます。

徳川綱吉の館林藩、徳川家宣の甲府藩は、当主が将軍の継嗣となって廃藩絶家となっていますが、紀州和歌山は家康公からの拝領地であるとして、吉宗の従兄の徳川宗直に家督を譲って存続させます。

33歳まで和歌山で過ごした吉宗の紀州藩主に関する資料や、家臣らが残した絵画や資料など、和歌山には多く残され、ゆかりの場所も各地に点在しています。

徳川吉宗の生誕の地であり、藩主として過ごした和歌山城をはじめとしたゆかりの場所も多く残る和歌山との関わりを紹介します。

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紀州徳川家の和歌山城5代城主となった徳川吉宗

徳川吉宗が33歳で江戸幕府8代将軍に就任するまで、紀州藩主として紀州徳川家の居城である和歌山城の城主として藩政に携わり、将軍職での幕政にもその経験を活かしています。

8代将軍に就任する以前の徳川吉宗が居城とした和歌山城は、徳川家康の第10男の頼宣が元和5年に紀州徳川家として初めて入城した城で、徳川御三家のひとつとして歴史を刻んでいます。

和歌山城の始まりは、豊臣秀吉が紀州を平定して弟の秀長に築城させたもので、石垣には紀州特産の青石が多く使われ、和歌山城の特徴ともなっています。

和歌山城の天守閣からは、紀ノ川の流れと和歌山市街を見渡すことができ、徳川幕府将軍となった吉宗を感じられる観光スポットの一つです。

8代将軍となった徳川吉宗と和歌山のかかわり

徳川吉宗の紀州藩主としての取り組みが幕政運営にも反映されたものといわれ、吉宗と和歌山とのかかわりは史跡だけではありません。

和歌山にある徳川吉宗のゆかりの地には、生誕の地である吹上邸、居城の和歌山城、御橋廊下、扇の芝、岡山の時鐘堂などさまざまにあげられます。

現在のJR和歌山駅前からけやき通りを歩くと約30分程度で和歌山城に着け、城内を抜けた城の南側にある不明門を抜けた丘の上には、吉宗が紀州藩士の頃に設置した岡山の時鐘堂があり、時間を知らせただけでなく火事などの緊急時にも活用された史跡です。

また、生誕の地や当時の風習で、厄年に生まれた吉宗の健康を願って、一度故意に捨てられて刺田比古神社の宮司に拾われた場所の扇の芝には、記念碑が建てられています。

三年坂通りから坂を5分ほど下ると岡公園があり、ここから切り出された緑泥片岩は「紀州の青石」と呼ばれ、前述のように和歌山城の天守台や本丸に積まれています。

紀州藩主から徳川幕府8代将軍となった徳川吉宗

紀州藩主から将軍職に就任した徳川吉宗は、紀州和歌山が家康公からの拝領地であったことを理由に、廃藩絶家を回避して存続させています。

33歳まで居城とした和歌山城をはじめとして、和歌山城下には吉宗とゆかりのある場所は点在し、藩主としての経験が幕政運営にも反映されています。

和歌山に残された吉宗との縁を示す史跡や資料も多く残っていて、市立博物館で就任300年を記念した展示が行われるほど、密接なかかわりがわかります。

テレビ時代劇にも取り上げられる吉宗の幕政での功績には、吉宗に影響を与えた祖父頼宣や紀州和歌山での藩主の経験が土台となっています。

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