徳川吉宗といえば、テレビ朝日系で放送されていた「暴れん坊将軍」を連想する人も多いかもしれません。
松平健さん演じる徳川吉宗と北島三郎さん演じる「め組」の辰五郎とは、将軍吉宗を貧乏旗本の三男坊の徳田新之助と名乗らせ、「め組」に入り浸っている状況が描かれていますが、あくまで、この設定はフィクションで実際には接点はなかったと考えられます。
この設定には、徳川吉宗が目安箱を設置して江戸庶民の意見を聞こうとした将軍だったことが影響したのかもしれません。
江戸時代に実在した徳川吉宗と「め組」に関することを紹介します。
徳川吉宗の時代に存在した「め組」とは?
江戸時代の江戸の火事には、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉が残るほど、江戸では火災が頻発していて、町人が自治的に設けた消防組織が町奉行の管理下に48組あり、「め組」はその一つです。
徳川吉宗が行なった享保の改革の一環として、幕府の定火消しでは対応しきれない火事に対応する組織を、町人による自治組織を編成させ、町奉行に監督させています。
しかも、町火消しに関わる費用は、いろは組48組それぞれが所属する町の予算から支払われ、現代でいうボランティア組織の様相を呈しています。
テレビ時代劇に登場する「め組」の辰五郎は、江戸の町火消しいろは四十八組のうちのめ組の鳶人足の頭で、実在した人物ですが、劇中での徳川吉宗との関わりはドラマ上の演出といえ、辰五郎に残された「め組の喧嘩」などにも親分肌の人間性が感じられます。
「め組」の辰五郎の人柄がわかる「め組の喧嘩」とは?
「め組」の辰五郎と長次郎、そして富士松の三人が、芝神妙宮境内での相撲春場所に立ち寄った際に、木戸銭御免を認められた辰五郎の連れであった富士松には認められていなかったため口論となり、力士の九竜山が通りかかって木戸番に加勢したため、辰五郎たちは引き下がっています。
相撲場をさった辰五郎たちが芝居見物に向かい、そこへ口論となった九竜山がやってきたのを見物客から煽られて恥をかかされ、九竜山が辰五郎を投げ飛ばして芝居をぶち壊してしまいます。
これをきっかけに、火消し衆と相撲部屋の力士たちとの騒動に発展し、7時間に渡って喧嘩が続き、騒動後の裁きでは、寺社奉行、町奉行、勘定奉行の三奉行が調整にあたる大騒動になり、相撲側に甘い判断が下されています。
「め組」の火消しは、江戸庶民にとって特殊な存在であり、史実では、新門辰五郎は、徳川吉宗よりも徳川慶喜との関わりが深い存在だったと推測されます。
徳川吉宗と町火消しの「め組」
徳川吉宗の時代には、江戸の町では頻繁に火災が起こっていて、その対応には幕府直下での対応には限界があったため、町奉行が管理する町人の自治消防組織48組の町火消しが構成されています。
「め組」は、その自治消防組織の一つであり、辰五郎という人物は、「め組」の鳶人足の頭として徳川慶喜の時代に、新門辰五郎が実在しています。
実在した新門辰五郎に関しては、のちに歌舞伎の演目として取り上げられている「め組の喧嘩」などでも、江戸庶民との距離感が感じられます。