徳川吉宗が日本人で初めてビールを飲んだ?

現代の日本では、暑い夏の夕陽を浴びながらビヤホールで冷えたジョッキに入れたビールを飲む人たちの姿は、風物詩となっています。

今では当たり前に飲まれているビールは、紀元前3000年よりも前の古代メソポタミアや古代エジプトで作られていたといわれ、日本にやってきたのは、約400年前の江戸時代といわれています。

慶長18年に平戸へ入港したイギリス船籍のクローブ号の積荷リストにビールが記載されており、これ以前にもポルトガルやスペインなどの船が来航しているため、一部の日本人にはそれ以前にビールの存在を知っていたと思われます。

8代将軍徳川吉宗が、日本人で初めてビールを飲んだといわれ、日本人とビールの関わりを紹介します。

スポンサーリンク
tokugawa-history.comレクタングル大

日本人が初めてビールを飲んだ記録には?

日本人が初めてビールを飲んだ記録には、享保9年にオランダ通訳の今村市兵衛と名村五兵衛が記した「和蘭問答」の書物があげられます。

この書物のなかには、オランダ商船が長崎の出島を通じて江戸へ持ち込み、徳川吉宗に献上されているとされ、吉宗のビールに対する感想は記録されていませんが、初めてビールを飲んだ日本人かもしれません。

長崎の出島を通したビールは、一部が民間にも流れている可能性があるため、徳川吉宗が初めてと言及はできないものの、日本人の中では最初に飲んだ一人でしょう。

「和蘭問答」に記されている日本人のビールの感想には、全く口に合わずマズかったといわれ、現代でもビールを初めて口にして、苦味だけを感じる人もいますから当然かもしれません。

徳川吉宗と同時期にビールを飲んだ日本人には?

徳川吉宗が日本人としてほぼ初めてビールを飲んだであろう記録は、前述の「和蘭問答」から推測されますが、同時期に杉田玄白も入手して飲んだ記録が残されています。

杉田玄白が他の医者との文通記録で、「酒はブドウにて作られ、また、麦でも作られ、味わいが無くマズイ」といった内容の酷評が残されています。

その後の文章では、ビールが喉の渇きを癒してくれるとも、微妙な言い回しも付け加えており、幕末には福沢諭吉がビールを飲んだ記録も残されています。

現代の日本人でも、初めてビールを飲んだ際に感じる苦さのため、江戸時代に初めて飲んだ人たちも同様の味わいを感じたと想像され、夏場のビアホールで飲むビールのように広がるには少し時間が必要だったようですが、明治時代には日本でもビールの醸造が始まっています。

徳川吉宗に献上されたビール?

享保年間に書かれた「和蘭問答」に登場するビールは、長崎の出島にオランダ商船が持ち込み、江戸幕府に献上されているため、日本人で初めてビールを飲んだのが徳川吉宗と推測されます。

この記録には、徳川吉宗がビールを飲んだ感想などの記述はないものの、オランダ商船の関係者が振る舞ったビールを飲んだ日本人の感想は、苦くて不味いといった内容が多く残されています。

徳川吉宗と同時期にビールを飲んだ杉田玄白の感想も、喉の渇きには良いが、味わいが無く不味いといった酷評が残されています。

ビールの歴史は、古代メソポタミアや古代エジプトから始まっていますが、日本でのビールの歴史は約400年前の江戸時代からで、現代では仲間とのリラックスした場でのアイテムとなっています。

スポンサーリンク
tokugawa-history.comレクタングル大

tokugawa-history.comレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする