徳川吉宗の享保の改革での倹約の実際は

徳川吉宗が8代将軍に就任した時点での幕府の財政状況は厳しい状況にあったため、幕府の収入源である年貢米の米価を安定させるための政策を駆使しています。

それに加えて、すべての藩に無駄な支出を減らすべく、倹約令を出して節約するように命じ、吉宗自身も倹約に努めています。

吉宗の享保の改革による米価対策の効果は一時的には幕府の財政を黒字化しますが、幕府ほどの巨大な組織の経費削減は景気の冷え込みをもたらし、広範囲に経済の影響を与えて、幕末に向けて幕府の財政状況を悪化させる結果につながっています。

とはいえ、一時的にでも幕府の財政状況を改善した徳川吉宗が、自身でも取り組んだ倹約などについて紹介します。

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徳川吉宗が幕臣たちに示した倹約の模範とは?

徳川吉宗が将軍職に就任したとき、幕臣たちは幕府の財政状況が厳しい状況にあったにも関わらず、贅沢三昧の状態にありました。

幕府の財政状況を改善するためには、贅沢三昧になれた幕臣たちの気持ちを変える必要があり、そのために、将軍である吉宗が自ら質素倹約に努める姿を示そうとしています。

将軍がそれまで身につけた絹の着物ではなく、吉宗は木綿を羽織り、食事についても一日二食にし、その献立も一汁三菜の質素なものにしています。

質素とはいえ、栄養バランスは考慮した食事の献立にしていたため、当時としては長寿といえる66歳まで人生を全うした吉宗には、粗食の効果があったともいえます。

徳川吉宗が幕府の財政を圧迫していた大奥を倹約させた?

徳川幕府での幕臣たちの贅沢三昧を正すために、将軍である徳川吉宗自身が着物や食事を倹約して、範を示していますが、幕府の財政の約四分の一を占めた大奥の費用削減にも取り組んでいます。

倹約を推進する吉宗は、大奥の女性のリストラを断行しますが、現代であれば高齢の者や能力の低いものがその対象となりそうですが、大奥の女性のリストラは容姿端麗で25歳以下の若い女性が対象となっています。

徳川吉宗の大奥の女性のリストラ条件は、大奥を離れても良縁が得られる可能性がある女性を辞めさせようとしていて、吉宗が名君と呼ばれる心遣いが感じられます。

徳川吉宗が行なった享保の改革での倹約

徳川吉宗が幕府の財政立て直しのために行なった享保の改革の一環で、幕臣に対する倹約を求めるために吉宗自身も倹約に努めています。

それまでの将軍が絹の着物を使用していたものを木綿に変え、食事も一日二食にし、一汁三菜の質素な献立にして倹約に努める姿を幕臣に模範を示しています。

それに加えて、幕府の財政状況を圧迫していた大奥の人員を大幅に削減し、削減対象となる女性は大奥を離れても良縁に恵まれそうな人物から選別しており、吉宗の優しさが現れています。

本来、幕府ほどの巨大な組織の経費削減は、景気の冷え込みをもたらすため、中長期的な財務状況改善としての徳川吉宗の政策は失敗といえ、幕末に訪れる長州藩らによる倒幕派に付け込まれる財政状況を引き起こすこととなります。

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