8代将軍徳川吉宗は、紀州藩第2代藩主の徳川光貞の四男として和歌山城で生まれ、将軍に就任する33歳までを紀州和歌山で過ごしています。
紀州徳川家の居城だった和歌山城周辺には、徳川吉宗にゆかりのある場所や神社などが、多数点在しています。
吉宗の誕生当時には、捨て子は元気に育つとか、貰い子は元気に育つという言い伝えがあり、吉宗もその風習により故意に捨てられた場所が「扇の芝」とされ、刺田比古神社の宮司が拾ったといわれています。
徳川吉宗の「扇の芝」の場所の存在からも、誕生直後から神社との関わりがあり、吉宗とゆかりのある神社を紹介します。
徳川吉宗が誕生直後に捨てられ、拾った宮司の神社は?
徳川吉宗が誕生した当時の日本では、捨て子は元気に育つといった言い伝えがあり、身分の高い貴族や武家では故意に子供を捨てて、家臣や宮司などに拾わせるなどの風習がありました。
その風習にならって、吉宗も誕生と同時に、和歌山城の追廻門付近の「扇の芝」と呼ばれる場所に捨てられ、産土神である刺田比古神社の宮司に拾わせています。
刺田比古神社の宮司に拾われたことで厄をはらい、徳川吉宗は強運を得て、紀州藩主から徳川幕府8代将軍に就任するという異例の出世を遂げたため、刺田比古神社が出世や開運、厄除けの神社といわれています。
現在でも、徳川吉宗にあやかって、開運や出世を願う人たちの参拝が多い神社となっています。
徳川吉宗が創建した神社?
徳川吉宗が誕生した際にゆかりのある神社は、前述のような風習での関わりのある産土神である刺田比古神社がありますが、吉宗が創建した神社が東京にもあります。
平安時代の天歴5年に創建されたといわれる氷川神社は、徳川吉宗が享保15年に現在の東京赤坂に社殿を遷座しています。
徳川吉宗の命により造営された社殿は、享保の改革の緊縮財政の影響からか、本殿、幣殿、拝殿が一棟となった権現造りの社殿に派手さはなく、第二次世界大戦の戦火で境内のいくつかは消失したものの、社殿は現在まで残り、東京都の指定有形文化財となっています。
赤坂氷川神社は、現在では「縁結び」のスポットとして「東京三大縁結び神社」の一つと言われ、残り二つの出雲大社東京分祀と東京大神宮と共に人気です。
徳川吉宗とゆかりのある神社には?
徳川吉宗とゆかりのある神社は、誕生直後に関わった産土神である刺田比古神社と社殿の遷座をおこなって創建した赤坂氷川神社があげられます。
刺田比古神社は、当時の風習で一旦捨てられた吉宗を拾った宮司が仕える神社であり、吉宗の産土神です。
享保15年に現在の東京赤坂に創建した赤坂氷川神社の社殿も、徳川吉宗の命令によるもので、享保の改革の影響を受けた質素な造りとなっていますが、現在では縁結びの人気スポットとなっています。