徳川綱吉には「犬公方」、徳川吉宗には「米将軍」や「中興の祖」など在職期間の政策や功績によって異名をもつ江戸幕府の将軍がいます。
初代家康から三代目家光の時代には、それまで長く続いた戦国時代の後遺症ともいえる命を軽視した人心の蔓延があり、5代将軍綱吉が現代の動物愛護法にあたる「生類憐みの令」を発布します。
「生類憐みの令」の基本的な考え方は、動物すべての命を尊重することを目的としたものでしたが、運用段階でさまざまに行き過ぎた細目が付け加えられ、犬に対する過剰な保護が取りざたされ、天下の悪法の扱いを受けています。
徳川綱吉が亡くなると即座に廃止された「生類憐みの令」ですが、徳川吉宗は将軍御成りの際にはつなぎ置かせたり、徳川家と犬や鷹といった動物との関わりはさまざまに残されています。
徳川綱吉と徳川吉宗の動物とのかかわりは?
徳川綱吉には「犬公方」、徳川吉宗には「鷹将軍」というあだ名がつけられるほど、歴代将軍の中でも動物に関わる政策を打ち出しています。
徳川綱吉が、長く続いた戦乱の時代から人々に蔓延する動物や人の命の軽視に仁心を育む目的で打ち出した「生類憐みの令」でしたが、運用段階において、犬の扱いに関する極刑の例などが登場したことで、綱吉の犬に対する特別な保護の意味合いが印象付けられたため、庶民には悪法として捉えられています。
そのため、綱吉の後に将軍職を受け継いだ家宣によって、政策が廃止されており、徳川吉宗によって将軍の御成りの際に犬や猫をつなぐ必要はないとされる法令も廃止されます。
綱吉には犬だけではなく、家康が好んだ鷹狩りについても禁止しており、吉宗がこれを解禁しています。
徳川吉宗が動物に関して行なった政策は?
前述のように、徳川綱吉の「生類憐みの令」によって犬や猫に対する保護政策の反動のように、その後の家宣が綱吉の死後に即刻廃止しています。
徳川吉宗の時代に入ると、綱吉とは対照的に、それまで禁止していた鷹狩りを解禁し、鷹狩りの邪魔になる野犬などの対策などを含んだ「中野の犬小屋」なる場所を設けています。
徳川吉宗による鷹狩りの復活は、天下泰平となった治世にそれまでの乱世を忘れないための武備の一環を担わせたと考えられ、鷹場役人などの制度も整備されています。
吉宗の政策においては、鷹狩りを行う周辺環境を整えるために、野犬の捕獲と飼い犬をつなぐことが命じられています。
動物に関わった政策を打ち出した綱吉と吉宗
徳川幕府の歴代将軍のなかで、動物に関わる政策を打ち出した徳川綱吉と徳川吉宗は、その対応の意図に違いがみられます。
徳川綱吉が、人々の仁心を取り戻す意図で行なった「生類憐みの令」は、犬に対する行き過ぎた保護が庶民の反発を招き、本来の趣旨とは異なった結果となり、家宣が廃止します。
徳川吉宗は、徳川家康が好んだ鷹狩りを復活させて、乱世を忘れないための武備の意味を持たせています。
また、鷹狩りを行う場所の安全確保のために、野犬の捕獲と飼い犬を繋ぐことが命じられ、その施設として「中野の犬小屋」も設けています。