徳川吉宗が行なった享保の改革とは?

徳川家康によって、それまで長く続いた戦乱の時代が収束し、平和な時代が始まり、人々は徐々に贅沢な生活を送るためにお金を使います。

江戸時代中期には、江戸幕府の財政状況は悪化し、戦乱の無い生活が武士の武術低下なども問題となっています。

そんな中、8代将軍に就任した徳川吉宗は、それまでの贅沢な暮らしを戒め、質素倹約を中心とした以前の武士の基本生活に立ち返ることを推奨し、さまざまな政策を打ち出して幕府の財政立て直しと武士の意識の引き締めにあたっており、吉宗の行なった幕府政治が「享保の改革」といわれています。

徳川吉宗によって行われた享保の改革の具体的な政策などを紹介します。

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徳川吉宗によって行われた享保の改革とは?

徳川吉宗によって行われた享保の改革とは、質素倹約を基本とした生活を推奨し、戦乱のない生活で技量の落ちた武士たちの武芸の向上や学問の進化をすすめ、公事方御定書の制定によって司法制度の確立をはかり、一般庶民の意見を吉宗が直接聞くために目安箱を設置させています。

享保の改革の主たる目的は、幕府の財政立て直しで、上げ米の制と新田開発がその直接的な政策にあたります。

上げ米の制は、大名に1万石ごとに100石の米を幕府に差し出す制度で、その一方で大名の負担軽減のために、参勤交代による大名の江戸暮らしを半年間とし、一年半を領地で暮らすことも認めています。

財政立て直しには、支出を減らし収入を増やすことでしか対応できず、吉宗の行なった政策は質素倹約による支出の軽減と、上げ米の制による幕府の収入増加をはかったと考えられます。

徳川吉宗の享保の改革での成果は?

江戸幕府の財政立て直しを目的とした享保の改革の成果は、上げ米の制などの効果から、大名からの幕府への収入が増えて一時的には回復し、幕藩体制の引き締めの効果にもつながっています。

しかし、大名の領地内では、米の収入を増やすための年貢の率があげられ、農民の暮らしは逼迫し、農民一揆が頻発するようになります。

しかも、新田開発による米の収穫量が増え、米の値段が狂い、打ちこわしなども起きるようになります。

徳川吉宗の享保の改革で幕府の財政状況の回復は一時的なもので、根本的な解決には至らなかったものの、それまでの幕府政治において解決をはかるべき事項に対して、将軍自らが政務にあたった功績は大きいといえます。

徳川吉宗の享保の改革は、三大改革の一つ目

江戸幕府の財政立て直しは、享保、寛政、天保の三大改革によって行われ、最初の一歩となる享保の改革を行ったのが、8代将軍徳川吉宗が想起して数々の政策を打ち出しています。

財政立て直しのために、質素倹約を自ら実行しながら家臣たちにも推奨し、上げ米の制を導入することで幕府の収入増加をはかりますが、その一方で新田開発を行なったことで米の値段に影響を与えたことで、その成果は一時的なものとなってしまいます。

しかしながら、江戸時代中期まで継続した戦乱のない生活で顕在化してきた封建制度の矛盾や財政基盤の脆弱性を解消しようした傑出した将軍の一人であったことが、中興の祖と呼ばれる所以となっています。

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