徳川家光がしたことは?残した実績は?

徳川家光は、徳川幕府2代将軍秀忠の次男として生まれ、母は織田信長の姪にあたる浅井長政の三女の江、祖父は徳川幕府初代将軍家康、乳母は春日局として有名な斉藤利三の娘の福といった戦国時代から江戸時代に登場する有名人が関わっています。

徳川幕府の初代家康と二代目秀忠による武断政治を受け継ぎ三代目将軍となった徳川家光は、それまで二人が築いた幕府の統治体制をより強固にする基盤固めのための政策と武力行使を行なっています。

徳川家光は、病弱で吃音があって容姿端麗とも言えず、兄の長丸が早世したため世子として扱われるものの、秀忠が弟の忠長を寵愛したため世継ぎ問題が生じ、家康の鶴の一声で将軍職就任が決定していて、家光の家康への畏敬の念が強くなったとも言われています。

家康と秀忠が築いた徳川幕府を、徳川家光が3代目として基礎固めのためにしたことや、実績について紹介します。

スポンサーリンク
tokugawa-history.comレクタングル大

徳川家光がしたことといえば?

徳川家光が3代将軍に就任した当初は、父秀忠が大御所として君臨した家康との二元政治体制だったのと同様、大御所となった秀忠との二元政治を行い、家光だけの単独政治は秀忠が亡くなった後の約20年間です。

徳川家光がしたことは、幕藩体制の強化のために、家康と秀忠によって発せられた武家諸法度の改定と鎖国体制の完成があげられ、武断政治による統治実績を作っています。

武家諸法度の改定において参勤交代制度を盛り込み、大名を自領地と江戸への軍役奉公のために一年ごとに往復させる制度で、諸大名の蓄財を防ぎ謀反の原資を作らせないための制度といえます。

また、農民の減少を抑えるための農地改革として、田畑の売買を禁止して農民の減少を抑えるための田畑永大売買の禁令を発しています。

徳川家光が将軍として対応した実績には?

徳川家光が、3代将軍として武家諸法度の改定によって参勤交代制度を諸大名に徹底させ、出島に制限した外国との交流で幕府による一括管理を可能にした鎖国体制の確立の二つが最も大きな実績です。

これらの実績以外にも、徳川家光がしたことには、御水尾天皇が十数人の僧侶へ紫衣の着用の勅許を与えたことに、禁中並公家諸法度に基づいて紫衣を没収し、反発した大徳寺の沢庵らを流罪に処し、朝廷に対しても幕府の権威付けを行なっています。

また、鎖国体制を強化する原因ともなった天草四郎を総大将とする島原、天草の乱に、幕府軍10万の軍勢を送り武力制圧し、キリスト教弾圧を強めています。

そのほかにも、銭座を設置して、幕末まで江戸幕府の主要通貨となる寛永通宝の本格的鋳造を開始しています。

3代将軍徳川家光が江戸幕府の継続のためにしたこと

3代将軍となった徳川家光がしたことは、その後の江戸幕府が大政奉還を迎えるまで若干の改定を加えられながも、継続された法令や政策が多く、その実績も江戸幕府の基盤を固めるためのものだったといえます。

徳川家光が将軍として残した参勤交代制度と鎖国体制の完成の実績は、江戸幕府の象徴的な制度といえ、それに付随する農地改革や朝廷に対する紫衣事件の処罰、主要通貨の鋳造と流通といった実績も残しています。

スポンサーリンク
tokugawa-history.comレクタングル大

tokugawa-history.comレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする