徳川慶喜と大久保利通の王政復古の大号令での関わりは?

徳川慶喜と大久保利通は、大政奉還と王政復古の大号令という徳川幕府の終焉と新政府の立ち上げに立場の違う状況で関わった二人です。

武力倒幕派の筆頭といえる西郷隆盛とは幼馴染だった大久保利通は、薩摩藩が推進した公武合体論を具現化し、近代国家の基礎を築いた人物です。

長く続いた幕府の権威が徐々に失墜し、江戸での内戦の危機回避のために徳川慶喜の大政奉還という決断に、徳川家の新政府への関与を排除した大久保利通らの関わりがあります。

歴史の転換点となった明治維新の起点ともいえる幕府の終焉と新政府に関わった徳川慶喜と大久保利通について紹介します。

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徳川幕府の終わりを宣告した大久保利通とは?

幕府の名を無くしても政治の実権を握る可能性を残そうとした徳川慶喜の大政奉還に対して、王政復古の大号令を発令させて徳川家の政治関与を排除した大久保利通は、薩摩藩の大久保利世と福のあいだに長男として生まれます。

幕末の倒幕運動の中心人物として登場する西郷隆盛が武闘派の印象が強く、幼馴染の大久保利通は真逆のタイプで、征韓論においてその違いが顕在化しています。

大久保利通は、薩摩藩島津斉彬と島津久光の側近として、島津家を外様大名として幕政参入を模索していますが、徳川慶喜の将軍就任によって阻まれています。

大久保利通が徳川慶喜に近づくために、趣味の囲碁を利用して、囲碁仲間の関係性を利用したという逸話も残されています。

公武合体をすすめる薩摩藩を引っ張った大久保利通

公武合体策をすすめる薩摩藩の倒幕運動を武力による方法に重きをおく西郷隆盛と対比される存在として大久保利通がいたといえます。

大久保利通の功績には、参頂会議や四候会議などによる幕政改革を一時的に実現し、西郷隆盛による倒幕を陰ながら支え、明治政府の初代内務卿として富国強兵、殖産興業を実施し、廃藩置県や地租改正、徴兵制など近代国家の基盤を示しています。

西郷隆盛の武力倒幕の圧力を避けた徳川慶喜の大政奉還による幕府の終焉に加えて、徳川慶喜の国内政治への関与の可能性を排除した大久保利通らの王政復古の大号令の発令は、新国家の基盤を固める官僚としての大久保の能力の高さを示しています。

新政府が本当の意味で確立されるまでには30年をかけるべきとした大久保利通には、西郷隆盛とはタイプの違う官僚的な実務能力の高さが垣間見えます。

西郷隆盛の影で新政府の樹立をなした大久保利通

ペリーの黒船来航による混乱した江戸幕府において、将軍世嗣問題などの影響のなか、薩摩藩を外様大名として幕政に参加させるべく動いていた大久保利通は、徳川慶喜の動向によってその可能性を断たれています。

大久保利通は、趣味の囲碁を利用して徳川慶喜との付き合いを作り上げていたとされますが、のちに大政奉還と王政復古の大号令という敵対的な関係になります。

武力倒幕を主導した西郷隆盛の幼馴染として同藩出身の大久保利通は、武力による倒幕を陰で支えながら、倒幕後の国家体制に必要な新政府の姿となる基盤を築いています。

新政府の樹立に、旧勢力の徳川慶喜を排除した大久保利通の能力は、西郷隆盛とはタイプの違う官僚的なものだったと推察されます。

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