徳川家光が好んだ鷹狩り

日本での鷹狩りは、当初は王侯貴族の遊びとして広まり、戦国時代には武将たちの嗜みの一つとなっています。

鷹狩りは、鷹が獲物を捕らえて自分の主人のところへ持ってくるわけでなく、茂みや林にいる獲物を犬や追い立て要員の人で追い立て、飛び立った瞬間に鷹を離します。

獲物を捕らえて舞い降りた鷹のもとに走り、餌を与えて獲物と鷹を引き離すわけで、徳川家康は戦さの予行演習ともなるため、好んで鷹狩りをしています。

徳川家康を神の如く心酔し、自分の墓を家康のそばにしてくれと遺言した徳川家光は、鷹狩りの趣味も祖父を継承しています。

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徳川将軍家にとっての鷹狩りとは?

鷹狩りを好んだ戦国武将の筆頭には、徳川幕府初代将軍となった徳川家康で、生涯に1000回以上も鷹狩りに出かけています。

徳川家康の鷹狩りには、幼少期の人質生活において鷹が心の癒しだったと考えられ、鷹狩りは単なる娯楽だけではなく、郊外に出て庶民の様子を感じるためのもので、軍事訓練や身体の鍛錬にもつながるとしています。

しかも、徳川家康が天下人となってからは、公家などが勝手に鷹狩りをすることを禁じ、鷹狩りを権威の象徴として位置付けします。

徳川家康が鷹狩りを権威の象徴とした意図を受け継ぐように、徳川家光は、大勢の追い立て要員となる勢子を引き連れて鷹狩りに出かけています。

徳川綱吉によって中野に作られた犬の保護施設も、将軍家が行う鷹狩りの安全性を確保する目的もあったようで、鷹狩りを復活させた吉宗も中野を訪れています。

徳川家光の鷹狩りに残された逸話には?

3代将軍に就任した徳川家光は、将軍継嗣問題にケリをつけてくれた祖父家康に対する尊敬の念が強く、家康が好んだ鷹狩りも真似した如く、大勢の勢子を引き連れて出かけていたようです。

しかも、江戸中のさまざまな場所へしょっちゅう出かける家光は、城に帰ることが面倒で、狩場の近くの民家に宿泊することも多く、警護する家臣たちが苦言を呈しますが、聞く耳を持たなかったようです。

ある時、徳川家光が宿泊していた民家に伊達政宗がやってきたらしく、家臣たちから身辺の危険があると小言が面倒だと愚痴をこぼしたところ、政宗が、「それは心配しますよ。私も何度、鷹狩り中の家康公を狙ったことか」といったことで、家光が民家宿泊をやめたという逸話が残されています。

一説には、家光の身を案じた家臣たちが、伊達政宗に頼み込んだともいわれていますが、徳川家光の鷹狩りでのお出かけは、家臣たちには、頭痛のタネだったようです。

徳川家光と家康の共通項は、日光東照宮だけでなく鷹狩りも?

織田信長をはじめとした戦国武将の多くが鷹狩りを行なっていて、天下統一した徳川家にも、徳川家康をはじめとして、徳川家光や吉宗など、鷹狩り好きが多くいたようです。

徳川家康の鷹狩りには、民情視察や軍事訓練、身体の鍛錬などの目的があり、権威の象徴ともしていたようです。

徳川幕府の体制が安定することで戦さが減り、武芸の技量維持や戦さにある緊張感も減る状況を、鷹狩りを武士としての修練の場に利用していたとも考えられますが、家康や家光は戦国武将としての戦場の疑似体験としていたのかもしれません。

祖父である家康を崇拝する徳川家光は、鷹狩りの趣味も真似したようにしょっちゅう江戸のあちこちにでかけていたようで、城に帰ることが面倒で民家に泊まることも多く、家臣が伊達政宗に忠告してもらうように頼んだ逸話も残されています。

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