徳川慶喜の長寿は豚肉好きだったから?

徳川幕府に15人いる将軍の中でも77歳まで生きた徳川慶喜は、歴代将軍の中でも尊王攘夷運動と外国からの侵略の危機など政権運営の難しさの中で、厳しい判断を求められます。

そうした厳しい条件下での将軍職を、わずか1年という短い期間を過ごした後、上野寛永寺と水戸、駿府と居住を変えながら謹慎と隠居生活を長らく過ごすという精神的には辛さを感じるようですが、意外にも長寿の人生を送っています。

鳥羽伏見の戦いでの敵前逃亡のように江戸に戻った徳川慶喜には悪評も多く、その反面、江戸での全面戦争を避けた名君としての評価もある人物です。

激動と緩和の人生を送りながら長寿を全うした徳川慶喜には、豚肉を好んだという逸話が残されています。

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徳川慶喜の長寿を支えたのは、豚肉?

江戸時代に四つ足と呼ばれる動物の肉を食べる食習慣は一般化されておらず、明治維新で西洋の文化の流入により、牛肉を食べるようになったことが有名です。

徳川慶喜は、「豚一殿」というあだ名がつくほど、豚肉を好んで食べることが有名で、当時の日本人には珍しい存在です。

周囲の人の反応など気にしない慶喜は、横浜港が開放されるとすぐに肉を取り寄せていたらしく、大政奉還後の隠遁生活においても食していたと言われています。

隠居生活において、当時はまだ一般に広まっていない写真や自転車などの新しいものに興味を示した徳川慶喜ですから、本人にとっては当たり前だったのかもしれません。

徳川慶喜の食への関心

徳川慶喜は、食に対する関心が強かったらしく玄米パンを女中に買いに行かせたという逸話も残されており、晩年には硬い食べ物を避け、塩分の多い漬物を避けたとも言われています。

慶喜の食生活は、豚肉を好んだことでビタミンやミネラルといった当時の日本人に不足しがちな栄養素を補給し、塩分摂取量に気をつけており、現代型の食習慣だったと考えられます。

徳川幕府の将軍としての存在感を発揮することに固執せず、写真や狩猟などさまざまな趣味をもって人生を楽しむことができた慶喜の生活には、豚肉を取り入れた食生活がその健康を維持し、長寿となったと考えられます。

徳川慶喜の人生を楽しむ生き方は現代的?

戦国時代から江戸時代の武将たちが、政治での権力闘争と政権への影響力を人生のすべてと考えていた時代に、徳川慶喜の生き方はある意味現代的だったのかもしれません。

慶喜の置かれた時代背景の中で、自身の地位に固執することなく大政奉還を決断し、その後の謹慎隠居生活の中で、自らの人生を楽しむことを第一義とした生活を送ったと考えられ、そのために必要な食に関する関心も強かったと思われます。

長寿を支えたのは、当時としては珍しい四つ足と呼ばれる動物の肉、特に豚肉を好んで食したことで、ビタミンやミネラルを補給できていたためと思われ、現代の健康食生活の先駆けかもしれません。

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