徳川綱吉は犬好きだった?犬将軍と呼ばれた理由は?

5代将軍徳川綱吉が犬公方と呼ばれたのは、大の犬好きだっただけではなく、当時の庶民の倫理観から外れた「生類憐みの令」の発令によるものです。

テレビドラマや映画で描かれる江戸城内での徳川綱吉の傍らには、チンという犬種がよく登場し、その犬好きぶりは、城内に100頭飼育していたとされます。

江戸城内にチンを100頭も飼育し、庶民からすれば、犬に対する保護が特筆された印象を受ける「生類憐みの令」によって、徳川綱吉が犬将軍と揶揄されています。

犬将軍と揶揄された徳川綱吉が、「生類憐みの令」に込めた文治政治の推進による儒学的な倫理観の浸透の意図などを紹介します。

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犬将軍と呼ばれた徳川綱吉の「生類憐みの令」で犬は?

犬将軍と呼ばれた徳川綱吉の「生類憐みの令」の当初の目的は、犬だけでなく、さまざまな動物の保護を含め、「捨て子」や高齢者といった弱者の保護対策にありました。

しかし、殺傷を慎めることを求めた法令には精神論や倫理観を問う内容も多く、違反者が減らなかったこともあり、犬好きだった綱吉が犬の登録制度や、犬への虐待の取り締まりを強化したため、犬将軍と揶揄される結果となっています。

御犬毛付帳制度は、現代でも行われる犬の登録制度にあたり、動物虐待への罰則についても、現代では動物愛護法による取り締まりとなっていますが、徳川綱吉の時代背景での倫理観を持った庶民には受け入れられなかったようです。

また、野良犬を保護する場所を、武蔵野喜多見村、四谷、大久保、中野に作り、特に中野の施設には10万匹の野良犬が収容可能な大規模なもので、徳川綱吉の犬好きらしい施設が作られています。

犬好き徳川綱吉が行なった犬食文化の駆逐?

中国や韓国の一部では、現在でも犬食文化が残っていますが、徳川綱吉の生きた時代には、日本でも犬を食べる習慣があったとされています。

犬を食肉とする文化は、アジアや南太平洋の農耕社会では珍しいものではなく、日本での犬の食肉文化を駆逐したのが、犬好きの徳川綱吉です。

統治政策としての悪評が高い「生類憐みの令」には、それまでの戦国時代から続く殺伐とした倫理観を改善し、儒教に基づいた徳を重んじた精神的法令となっていたため、度重なる御触書が出されて、具体的な罰則などが追加されています。

殺傷を慎むことを求めた法令の中には、犬の保護が含まれていたため、それまでの犬を食肉とする文化が徐々に駆逐され、犬将軍綱吉の文化的な功績となっています。

徳川綱吉が犬好きで誤解された「生類憐みの令」?

徳川綱吉が制定した「生類憐みの令」は、徳川光圀が公然と批判するほど、天下の悪法といわれていますが、現代の犬の登録制度や動物愛護法、弱者対策などにも共通した法令となっています。

「生類憐みの令」が発令された時代背景や人々の倫理観に、徳を重んじた法令の内容が受け入れられる素地がありませんでした。

一般庶民には、徳川綱吉の犬好きが強調された生活の不都合ばかりが強調され、それまでの犬食文化も駆逐されたと考えられます。

現代の犬の登録制度や動物愛護の始まりが、江戸の庶民には不評だった犬将軍の徳川綱吉の政策だったようです。

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