徳川家康にゆかりの城は?場所は?

徳川家康といえば、約260年にわたって天下泰平の世の中の基盤となる徳川幕府を開いた初代将軍として有名ですが、将軍となるまでには波乱万丈の人生を送っています。

三河国の松平氏の嫡男として生まれた徳川家康は、わずか6歳から織田氏と今川氏のもとでの人質生活を強いられ、元服後も、織田信長、豊臣秀吉といった天下人となった戦国武将たちとの勢力争いの渦中に身を置いています。

徳川家康が、戦国時代から江戸幕府での将軍職、大御所に至る人生で関わった城は、居城としたものから軍事拠点としたものまで、各地に点在します。

徳川家康にゆかりのある城や、城の存在する場所などについて紹介します。

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徳川家康の変遷とゆかりの城には?

わずか6歳で人質生活を強いられた徳川家康は、元服後には桶狭間の戦いで織田氏攻めに参加し、敗戦した今川氏から独立して岡崎城へ入城しています。

岡崎城主となった家康は、織田信長と同盟関係を結び、今川氏の領地を獲得しながら、武田信玄との戦いのために、浜松城を本拠地に変え、長篠の戦いに勝利した後には、浜松城から駿府城へと居城を移しています。

豊臣秀吉が天下人になったことで、関東へ移ることをを命じられた徳川家康は、江戸城を改修して居城にし、その後江戸幕府の拠点と居城にしています。

徳川幕府の将軍職を三男の秀忠に譲ると、徳川家康は居城を駿府城に移して隠居生活を送り、最期も駿府城で迎えています。

徳川家康にゆかりのある城には、戦国時代の乱世の中、織田信長や豊臣秀吉といった天下人と有力武将たちとの勢力争いの変遷によって、その場所を変えています。

徳川家康のゆかりの城の場所と現在は?

徳川家康のゆかりの城には、生誕の場所であり、元服後に今川氏から独立の拠点となった岡崎城の場所は、現在の岡崎城公園の場所にあたり、現在残されている城は復元されたもので、岡崎城公園西側には、家康の「産湯の井戸」が残されています。

武田信玄との戦いに備えて、故郷の岡崎城から移り、本格的に築城させた浜松城は、野面積みと呼ばれる自然石を加工せずに積み上げた石垣を有し、古代の山城の趣きをもつ城となっていて、元は曳馬城と呼ばれていた名前を家康が改名しています。

戦国時代の乱世を生き抜いた徳川家康が、江戸幕府を開いた拠点となった江戸城は、現在は皇居、本丸は皇居東御苑として解放されています。

徳川家康が入城した時には、小規模な城だったものの、その後大規模な改修が行われ、日本最大の城郭となり、現在のJR東京駅から徒歩5分の場所に位置しています。

徳川幕府の将軍職を三男秀忠に譲り、大御所となって政治の実権を握りながら隠居した城が駿府城で、亡くなるまでを過ごした場所で、幼少時代を過ごした場所でもありました。

駿府城は、完成直後と家康が亡くなった後に火災にあっていて、その都度再建され、現在までに同じ場所に3回築城され、外堀のみが江戸時代のまま残されています。

徳川家康の誕生から亡くなるまでのゆかりの城

徳川家康は、現在の愛知県岡崎市の岡崎城公園の場所にあった岡崎城で生まれており、現存する岡崎城は復元されたもので、公園西には「産湯の井戸」が今も残されています。

徳川家康に関わりのある城は、戦国時代から江戸幕府を開くまでの居城、あるいは戦略上の拠点となった場所であり、生誕地の岡崎城をはじめ、小牧城、浜松城、江戸城、駿府城などがあります。

現存する城の多くは、徳川家康が関わった時点から修復や復元されたものもあり、現在でも家康を感じられる場所として残されています。

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